芥川龙之介

日本大正时代著名作家以《罗生门》为代表创作了很多短篇小说。

他的作品往往能够打动人心,为我们展现普世大众的心灵世界。

《罗生门》简介

很久很久以前,京都接连遭受天灾人祸,整个城市死气沉沉,人影罕见。

一天傍晚,一个仆人正在罗生门下等待雨停。由于刚被主人解雇,为了寻找一片栖息之所,他爬上了罗生门上的阁楼。令他震惊的是,楼上死尸遍布,臭气熏天。更不可思议的是,楼上竟然还有一个穿着树皮色衣服、又矮又瘦、浑如猴子的老太婆。

定睛一看,老太婆正冷静地从另一个女尸上把头发一根根拔下,打算做个假发。仆人不禁怒火中烧,把这个连死人都不放过的老太婆狠狠地揍了一顿。老太婆敌他不过,哭着说:“为了生计,我这也是没有办法啊。”

仆人觉得言之有理。“既然为了活下去什么都可以做,那么我带走你的衣服也没什么过错吧。”仆人心想。于是他三下五除二脱光了老太婆的衣物,头也不回地消失在夜幕中。

《罗生门》为我们展现了人类在求生时的利己主义之恶。无论是仆人还是老妇,他们的所作所为都是当时社会的一个缩影。最初,仆人为了求生,心想与其饿死,不如为盗。但是,也许是本性尚善,也许是内心恐惧,仆人虽然这么打算,心里却在善与恶之间艰难地抉择着。这大概就是“人之初性本善”吧。然而,在听了老妇的话以后,他狠下心来,将心里仅存的一点善心抛到了九霄云外。

如前所述,仆人也好,老妇也罢,都是不幸的人。衣不蔽体,食不果腹,能不能保命都很难说。但是,这并不能成为作恶的理由。“迫于生计”,只不过是为自己的罪行开脱的借口罢了。人心本来就是很脆弱的,在那样的情况下,“善”往往不敌“恶”。如果站在仆人的立场上,为了自己的利益而不择手段的人怕是并不罕见。

我觉得,人生最重要的事莫过于“善”。即使身处衣食不足的困境,我们也应该遵守法律和基本的社会公德,不能置礼义廉耻于不顾。作为一个普通人,“勿以恶小而为之”,做一个有良知的人。只要我们肯努力,困难总是一时的,生活总会更好。

大家怎么看呢?

作者简介

巩鹍,化工学院大二学生。爱语言,爱文学,爱旅行,爱运动。大约一年以前开始学日语,喜欢看动漫和日本的文学作品,希望此为契机,提高自己的日语水平。

感谢海棠书院这个平台,让我们相识。前路漫漫,让我们共同努力、共同进步吧!

这里是作者精心准备的日文版书评,

准备好接收了吗?

「羅生門」の読後感想文

皆さん、こんばんは。また「読み甲斐の文章のシェア」のタイムだね。今日、私は「羅生門」を読んだ後の感想を皆さんと話し合

引子

芥川龍之介は、大正時代の有名な作家として、「羅生門」をはじめ、たくさんの短編小説を作る。彼の作品は、いつも人々の心を打つストーリーを通じて、人間の精神世界を読者に見せる。

作者简介

昔々、京都には、地震とか辻風とか火事とか飢饉とか云う災いが続いて起こった。それで、長い間自然災害に襲われた京都は、もう見る影もなく壊れた果てていた。

ある日の夕方、一人の下人が、羅生門の下で雨宿りしていた。泊まれる宿を探すために、下人は門の上の楼へ上った。驚いたことに、最上階は死人だらけで、死骸の腐乱した臭気を嗅ぎつけられた。檜皮色の着物を着て、痩せて、背の低くて、猿のような年を取った女が目にして、なんと不思議なことか。

あの老婦人は、落ち着いて、ほかの女の長い髪の毛を一本ずつ抜いていた。この情景を見ると、下人は、怒りを抑えられなくて、老婦人をさんざん殴った。老婦人は、「今また、わしのしていたことも悪いとは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、飢死をするじゃて、仕方がなくする事じゃないわの。」と声を出して、泣きじゃくりながら言った。

すると、下人は「では、おれが引剥をしようと恨むまいな。おれもそうしなければ、飢死をする体なのだ。」と言った途端に、老婦人の着物を剥ぎとった。そして、彼は、もうこちらを振り返ることもなく、夜のとばりに消えて行った。彼の行方は、誰も知らなかった。

故事情节

「羅生門」は、生きるための悪という人間のエゴイズムを描き出す。この文を読むと、下人も老婦人も、そんな恥ずかしいことをせざるを得ない社会生活の縮図の一つだと思う。最初、この下人は生きられるために、飢死というよりも、強盗になるつもりだ。でも、彼は正直にしろ恐懼にしろ、そうしようと思いつつ、実は強盗の道へ行くかどうかまだ迷って決められない。これは「人間は生まれながらにして善である。」という諺だろう。けれども、老婦人の話を聞いたところで、下人はわずかに残った善を放って置く。そんな状況で、生き延びる以上は、何を問わずできるだろうと思って、いやなことをやってしまう。

前に述べたように、その時代において、下人にしろ、老婦人にしろ、不幸な境遇の人だ。食べ物がなくて、お腹が空いて、命を取り留めるかどうか分からない。しかし、これは品行が悪くなって、生活が乱れることの理由ではない。「悪事も仕方がない」は、ただ自分の罪を逃れる口実でしょう。人間の心が元々弱いものだから、いつも「善」は「悪」に負けると言われる。下人のような状況に置かれた場合、自分の利益に向かって、手段を選ばないことがあると思っている。

私は、人生の中で、「善」が一番大切なことだと思っている。たとえ衣食の足りない暮らしの苦境に直面していても、法律と道徳を守らないわけにはいかない。普通の人間にとって、悪事を働かないで、正直に生活するはずだ。非常に困難な状況が生じれば、積極的な態度に出て、命運に負けないで頑張りさえすれば、生活がうまくいくでしょう。皆さんはどう考える?

自己紹介

私は鞏と申して、天津大学化学工業学部の二年生だ。言語学も大好きなら文学も大好きだ。旅行や運動などに興味を持っている。日本語と言えば、一年前ぐらいから勉強し始めた。それ以来、いつも日本のアニメやら名著など様々な作品をきっかけにして、日本語に更に磨きをかけようと思っている。

「カイドウ書院」において、皆さんと知り合って、たくさんの友達を作る。皆さん、頑張りましょう。